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転職について考えてみる

転職をしたいと考えた方は少なくないであろう。あたなも一度はあるのではなかろうか?
きっかけは人それぞれ。
・10年も異動もできず、自分の能力を活かしきれていない
・今の仕事を続けても、自分の力を最大限に発揮できない
・この職場の人はバカばかりで、こんなんじゃイヤだ
・ワンマン社長がイヤだ
・仕事がキツイわりに、給料が安い
・もうすぐ潰れてしまう予感がする
・もうこの仕事に飽きてしまった
・この職種は自分にあっていない
・もっと自分にあった仕事が見つかった

などなど、たくさん出てくる。研修トレーナーをしていると、様々な人にであい、そこには様々な欲求がある。休憩時間お合間に相談を受けることもしばしばある。真剣に悩んでいる人もいれば、なんとなくしか考えていない人もいる。しかし、どちらのケースにといても本人にとっては大切なことであることには間違いない。

思うことは根底にあるものは2つだけだということ。
ひとつは、本当に自分がやりたいと心底思って転職を考えるパターン。もうひとつは、現実/現状からの逃避で転職を考えるパターン。いうまでもなく、後者では必ず失敗する。

だから、『何のために転職をするのか?』を自問自答することである。どうしても答えが出ないときには、信頼できる友人と会話をしてみるのもよい。もっともお勧めするはキャリアカウンセラーに相談することである。そんなに大きな出費ではないので、どんどん活用するべきである。自分がキャリアカウンセラーであるから言うのではない。人生の選択をするのに、自分だけで決めるのはもったいない。たくさんの情報、様々な視点、幅広い事例などを正しく理解したうえで、最後に自分の気持ちと社会状況を鑑みて決断することが一番であると思うから、キャリアカウンセラーを活用すべきだと思っている

『哲学は人生の役に立つか?』(木田元著)という本に興味深い記述があった。

私は「幸福論」というものが嫌いです。そもそも「幸福になりたい」という気持ちがどうも好きになれない。(中略)欧米人にとっては、もともとキリスト教が背景にありますから、「幸福」とは、「至福」「浄福」という意味で、神様が「嘉する(善しと認める)状態」のことを言うわけです。(中略)ところが、近代以降の日本人は、もともと宗教的背景が希薄ですから、神の善しとした状態などというものが判断の基準にはなりえません。ですから、日本人が幸福になるというのは、「他人よりもよい状態になりたい」ということになってしまうのですね。勝ち負けでいうと「勝ち組になろう」という意識です。「勝ち組」になれれば、世間的に幸福だろうと考えるのです。

こういう幸福のイメージは転職会社がアピールしてきたことであり、商売ネタとしてもってこいでした。第一わかりやすいし、煽りやすいので。でもこれが話をややこしくしている。
自分で決断できない、いつまでの自分探しをしている若者が増えてきたいう話を聞きます。私も研修の現場で肌でそれを感じます。誰もアドバイスをくれないし、肝心の上司が同じように迷っているように見える。
前述の書籍で著者はこう述べています。

今の若い人たちは、「自分らしく生きたい」といったことを、よく口にするようです。「自分らしく生きる」ということが、自分の好きなことを探して、それをとことん追求しながら生きるという意味であれば、けっこうな話だと思います。
しかし、彼らが「自分らしく生きたい」という意味は、そういうkとではなさそうです。私にはよく分かりませんが、なんだか人間の中に白木作りの無垢の「自分」といったようなものが隠れていて、これが社会の拘束や人間関係によって傷つきやすい。そうした「自分」を社会や人間関係によって傷つけられないように大事に守り、なるべくそこに閉じこもって生きようという、そんなことのように思われます

1970年代は近代的自我の確立を求められました。それも無条件にです。こういう世代には、上記のような考え方はにわかに受け入れがたく、なんとなく理解できるような気がしても共感はできないのかもしれません。
飽食の時代の産物であり、こうしたものを作り上げてしまった社会の先輩たちに責任があるのでしょう。真剣に向き合わなければなりません。
話を戻しますが、こういうことを考えてから、もう一度『何のために転職をするのか?』を自問自答してみてください。

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