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メル友とコミュニケーション

みどりのジャンプ台携帯電話の使われ方は異常と思っています。所かまわず意味のない電話をしていたり、ひっきりなしにメール交換をしていることは、コミュニケーションとは程遠いアクションであり、中毒症状に近いものがあります。
これではコミュニケーションが下手になってしまいます。
普通の人が衝動的な暴力事件を起こすことが多くなってきています。電車の中とか道端など、ちょっとした接触がある場所で、殺人にまで至ってしまうことさえあるのは、コミュニケーション力の低下と関係があるのかもしれません。
メル友について興味深い記事がありましたのでご紹介します。
ここでは、『個人同士の間にある垣根がしっかりとしていて、その個人と個人の間にあるものが“付き合い”』をコミュニケーションと定義しています。四六時中、ケータイを使ってメールのやり取りをしている光景について、こう説明しています。

(日本における個人とは、“周囲との人間関係も包含したもの”であり)個人の垣根が低い国民性の中に、ケータイのようなものが入ってくると、元来“ツール”であるべきものが、“自我の一部”になってしまい、今のような現象が起こるというわけです。

また、人との関係についてこのように述べています。

(欧米人に言わせれば、)メールを介して知り合い、メールでしかコミュニケーションをしていない人間が、自分の友達であろうはずがないからです。それを『友達』と抵抗なく呼べるのは、日本人がいかに個人の垣根が低いかを端的に表しているのではないでしょうか。

メル友であることは疎外感や村八分を恐れるあまりに、強迫観念を感じながら続けている関係なのかもしれません。ムラ社会は日本の伝統なのかもしれませんが、それにしても極端な状況です。
日本だけで“メル友”が蔓延している理由とは[bp SPECIAL]

『ケータイを持ったサル』や『考えないヒト』(いずれも中公新書)などの著作で有名な京都大学霊長類研究所の正高信男教授は、「ケータイに代表されるIT 社会の到来によって、日本では国民の均一性、斉一性がますます強化されてしまった」点や、「人間同士の足の引っ張り合いや、誹謗中傷が激しくなった」こと、さらには「人が物事を深く考えなくなったり、引きこもりが増えた」等々、数々の弊害が出ていると警鐘を鳴らす。

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